「テレビのない暮らしが、私の心を整えてくれた話」

心のジャーナル
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テレビって、私にとって必要?

録画の容量が限界を迎えるたびに、
「これ消そうかな」「いや、見てないけど気になるし…」と悩んでいた日々。

仕事の前にちょっとだけ…
休みの日は溜めた分を一気見…。
そんなふうに、テレビがあることが当たり前の生活をしていました。

でもある日、ふと思ったんです。
「これって、私の時間を“楽しんでる”んじゃなくて、“消化してる”だけじゃない?」

そして、気づいたらテレビを手放していました。

「見たい」がいつの間にか「見なきゃ」に変わっていた

テレビがあると、“ながら”で流してしまったり、
「録ってあるし、いつか見よう」と思って録画が溜まる。

そのうち、録画が義務みたいに感じてしまうようになっていました。

見たいはずの番組なのに、
「いつ見よう」「消さなきゃ」「容量が…」と管理する自分。

ふと我に返ると、
「なんだか本末転倒だな」と思ったのが正直な気持ちでした。

まずは“1日テレビを見ない日”を作ってみた

そんなとき、あるミニマリストの方の言葉に出会いました。

「まずはテレビのコンセントを抜いてみてください」

気軽な気持ちでやってみたら、
1日、2日…と、テレビなしの生活が意外と平気だったんです。

ドラマも、バラエティも、ニュースも、
「見ないと死ぬわけじゃないな」と思えてきました。

むしろ、“見ないことで生まれる静かな時間”が心地よくなっていきました。

最後に見たテレビ番組、そして決断の日

最後に見たのは、たしかWBCで日本が優勝した試合。
大谷翔平選手やダルビッシュ有選手が活躍した、あの特別な瞬間。

その感動を味わって、
私は静かにテレビのコンセントを抜きました。

しばらくそのまま置いていたけれど、
ある時ふと「この場所、別のことに使いたいな」と思って、完全に手放すことに。

受信料も解約して、私のテレビのある暮らしは終わりを迎えました。

今では、夜の静けさがごほうびです

あの頃、
「ドラマの放送時間に合わせて起きていると、次の日がつらい」
そんな焦りがいつも心のどこかにありました。

でも今は、夜は静かに眠る時間、朝は自分のペースで整える時間。

テレビがなくなったことで、
暮らしの優先順位が、自分にとっての“本当に大切なこと”に戻った気がします。

もちろん、テレビを持つ生活も素敵だと思います。
でも、「見なきゃ」に追われているときの私には、きっとこの変化が必要だったんだと思います。

時間の“主導権”を、自分に取り戻すということ

テレビを手放したことで、
私は少しだけ、自分の時間を自分で選べるようになった気がします。

このブログを読んで、
「ちょっと疲れてるな」と感じている誰かの背中を、ほんの少しでも押せたら嬉しいです。

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