休日の自己理解の取り組みの一部についてご紹介
こんにちは。
今日は、最近取り組んでいる“自己理解”について綴ってみたいと思います。
私は普段から教育に携わる中で、さまざまな人の感情や思考に触れてきました。
ですが、そんな中でふと気づいたことがあります。
「考え方が、少し変わったな」と思える瞬間
以前の私は、教育のために良かれと思って動いたことが否定されたとき、
まるで自分自身を否定されたように感じて落ち込んでしまうことがありました。
でも最近は、不満や意見を聞いても「一つの意見として受け止めよう」と思えるようになったんです。
受け流す、というと冷たいかもしれませんが、“ちゃんと聞いて、でも自分の価値も同時に守る”というスタンスが少しずつ身についてきた気がします。
「私らしい」と思えること
一方で、納得できないことに対しては、たとえ相手が誰であっても、真剣に、自分の考えをぶつけてしまいます。
ときには噛みつくように…。
これもまた、変わらず私らしいところだと思っています。
でも、その“強さ”をどう活かし、どうやわらかく伝えるか――それがこれからの課題かもしれません。
「気づけば繰り返している思考パターン」
この自己理解の時間を通して、気づいたことがあります。
私は、気がつくとずっと教育のことや仕事のことを考えている。
そして、ジムに行けなかった日は「また行けなかった」と自分を責めてしまう。
一見ストイックに見えるかもしれませんが、その裏には“もっと良くしたい”という気持ちがあるからこそ。
責める代わりに「今日は休むことが必要だった」と受け止めるようにしたいなと思いました。
自分への問いかけ
こんな思考のクセを知ったことで、最近はこんな問いかけを自分にしてみるようになりました。
- 今週、自分に優しくできた瞬間はあった?
- 今週、頑張った自分を褒めてあげたいことは?
- 心と体の「余白」になる時間、つくれていた?
少しだけでも立ち止まって、自分と対話する時間をもつこと。
それは、思考を整理するだけでなく、感情の風通しをよくする大切な時間になっています。
おわりに
“自己理解”という言葉は少し堅く聞こえるかもしれませんが、
私は、「よりやさしく、より自然体に生きるためのツール」として捉えています。
完璧じゃなくてもいい。
だけど、気づけたことを少しずつ育てていきたい。
これからも、日常の中でふと見つけた“自分らしさ”や“変化の芽”を大切にしていきたいと思います。
コメント