【現場の実態】役割が「肩書き」で止まっている
教育委員という肩書きを持っていても、それが“実働”に結びついていない。
あるいは、フォローアップの視点を持たないまま、日々の業務に追われて見て見ぬふりをする
──そんな実情も少なくありません。
現状、プリセプター制度こそあるものの、教育委員会としての年間計画は存在していませんでした。
私よりも前に入ったスタッフたちも同じ状況で育ってきており、
教育体制そのものが曖昧なまま引き継がれてきたように見えます。
日々の患者受け持ちの割り振りも、
その日のリーダーの「なんとなく」や「この人に今日は頑張ってもらおうかな」という
主観的な判断で決められ、育成の意図や根拠が見えにくい状態です。
さらに追い打ちをかけるのが、
リーダーが「このスタッフにフォローをお願いしたい」と考えて配置しても、その意図にすら協力が得られないこと。
ある日、フォローをお願いしたスタッフからは
「自分の受け持ちを見ながらなんて無理です」と突き返されました。
しかも、それを発言したのは教育委員の一人でした。
「育成する立場の人が育成に背を向ける」──それは想像以上に、病棟全体の学びの空気を重たくさせます。
教育委員が“動けない”のか、“動かない”のか
「教育委員が機能していない」。
これは決して誰か個人を責めたいわけではなく、現場の構造的な問題として感じていることです。
私が中途で入職した現在の病棟には、プリセプター制度こそあるものの、年間の教育計画は存在していませんでした。
私より前に入ったスタッフも同様で、「その日のリーダーが、その場で“育てたい人”を担当につける」という、場当たり的な教育が繰り返されていたのです。
これは、「教育委員が動かない」という問題ではなく、
教育を支える仕組みそのものが整っていないという、より根深い課題なのではないかと思うのです。
でも、そこで終わらせたくはありません。
私自身が、その現実にどう向き合うのか?
教育委員が動けない環境の中で、自分に何ができるのか。
その問いこそが、次につながっていく原動力です。
それでも、私は考え続けたい
正直、この現状を目の当たりにして、心が折れそうになることもありました。
制度も仕組みもない教育体制。
その日のリーダーの“気分”で割り振られる担当。
フォローをお願いしても、「自分の受け持ちを見ながらは無理」と拒まれる。
挙句の果てには、教育委員ですらその発言をする。
それが、私が見た現実でした。
私自身も入職して間もない頃、形式上のフォローがついていたものの、フォロー担当者は日中ずっとおしゃべりばかり。
相手を思いやる関わりは感じられず、相談したくても声をかけづらい雰囲気がストレスになっていました。
でも、プリセプターだけはとても真摯に関わってくれる人でした。
だから、私は思い切ってフォローを外してもらい、「困ったときに話しかけられる人がいればいい」と伝えました。
そこから、少し楽になりました。
このとき、私はまだ教育委員でも何者でもありません。
ただ、「これが教育なのか?」と疑問を抱きながら、目の前の現実に向き合っていただけです。
次回は、この「教育が形骸化していた」現場で、
私が何を感じ、どう一歩踏み出したのか――その小さな始まりについて、お話しできればと思います。
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