病棟を良くしたいだけなのに、動けなくなりそうな日がある

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― 教育に関わる私が、立ち止まった理由 ―

はじめに

最近、
自分の言動が、周囲にあまりいい影響を与えていないのかもしれない、
そう感じる出来事がありました。

病棟の教育が良くなってほしい。
病棟スタッフが、一人でも多く自立して重症患者を受け持てるようになってほしい。

その思いから考えて、動いてきたつもりだったけれど、
そういう意見を耳にした途端、
正直、前みたいに積極的に動けなくなりつつあるのが今の私です。

毎日の割り振りに、どうしても力を入れてしまう理由

私は、毎日の割り振りをとても大事にしています。

「今日、誰がどの患者を受け持つか」
それは単なる作業ではなくて、
その人がどんな経験を積めるか、
どんな一日になるかを左右するものだと思っているからです。

教育対象者一人ひとりに、
目標に関する患者を受け持つ経験をしてほしい。

できる・できないの話ではなくて、
「経験できる機会」を、
できるだけ平等に渡したい。

一人でも多く、
自分の目標に近づく患者を受け持ってほしい。
ICUで働く意味を、
実感として積み重ねてほしい。

そう思いながら、
毎日の割り振りを考えています。

それでも、全員に同じ機会を用意できない現実

でも現実は、
患者数にも限りがあるし、
重症度にも偏りがあります。

人員配置やその日の体制によって、
どうしても
教育対象者全員に、目標に関する患者をつけてあげることはできない日
があります。

それがわかっているからこそ、
「これでよかったのかな」
「誰かを置き去りにしていないかな」
そんなふうに気持ちが揺れる日もあります。

前向きに受け止めてくれる人もいれば、
正直、嫌だなと思いながら取り組んでいる人がいることも、
私はわかっています。

人それぞれ、
今いる場所も、目指しているところも違う。
その狭間で、気持ちが揺れるのは自然なことだと思っています。

「教育委員が全部やったら?」と言われたとき

割り振りに力を入れれば入れるほど、
「じゃあ教育委員が全部やったら?」
そんな空気を感じることもあります。

難しいなと思います。

教育を“誰かがやるもの”にしてしまうと、
現場からは距離ができてしまう。
でも、前に出すぎると、
今度は煙たがられる。

どこに立てばいいのか、
わからなくなる瞬間があります。

私が“悪者”になる構造

病院のトップ側からは、
「できるスタッフを増やしてほしい」
と言われています。

でも、その背景を
現場のスタッフ全員が知っているわけではありません。

その結果、
私はただ厳しいことを言う人、
無理をさせる人、
悪者のような立ち位置になってしまう。

他の教育メンバーが悪いわけではありません。
犠牲になってまで、という考えを
誰もしていないのも、わかっています。

それでも、
この構造の中で矢面に立つのは、
だいたい私一人です。

それでも、ぶれていない気持ち

それでも、
ICUのスタッフが一人でも多く自立して、
重症患者を受け持てるようになってほしい。

この気持ちだけは、
今もまったくぶれていません。

だから私は、
やめるのではなく、
アプローチを変えながら続けていきたい
と思っています。

前に出る形じゃなくてもいい。
全部を背負わなくてもいい。

それでも、
病棟の未来を考えることだけは、
手放したくない。

おわりに

教育は、
正解がなくて、
すぐに成果が見えません。

誰かの成長は、
その日の割り振り一つでは測れない。

それでも、
今日、誰かが一歩前に進めていたなら、
それでいいのかもしれない。

今はまだ、
そんなふうに自分に言い聞かせながら、
私はこの場所に立っています。

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