好きな人も嫌いな人も含めて“私をつくってくれた人たち”

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はじめに

看護師として働いていると、
“いろいろな人との出会い”があります。

・大好きで尊敬できる先輩
・嬉しくなるような言葉をくれる同期
・苦手で、関わるだけで疲れた人
・厳しくて怖かった人
・どうしてそんな言い方するの?と思った人
・救われた患者さんの言葉
・心を揺さぶられた家族の一言

13年働いてきて気づいたことがあります。

「好きだった人だけが私を育てたんじゃない。
嫌いだった人、苦手だった人も“全部”私の糧になってる。」

今日はその話を書きたいと思います。

“好きな人”からは強さと優しさをもらった

私が看護師として迷ったとき、
そっと横に立って支えてくれた人たちがいました。

・新人の気持ちを先に言葉にしてくれた先輩
・背中を預けられる安心感
・怒鳴らず、静かに軌道修正してくれる人
・苦しいときに「大丈夫?」と聞いてくれる仲間
・できたことを気づかせてくれる教育者

彼らから私は
“優しさと強さを両立させる方法” を学びました。

こういう人たちがいたおかげで、私は教育担当になって1年経ったとき、
「私も誰かの隣に立てる人になりたい」と思えました。

“嫌いだった人”からは、もっと大きな学びがあった

正直に言うと、
私は何度も「しんどいな」と思う人に出会ってきました。

・理不尽な叱り方をする人
・後輩の話を聞けない人
・言葉がトゲのように刺さる人
・自分の機嫌で態度が変わる人
・責任を押しつける人

当時は、
「なんでこうなるんだろう」
「もう関わりたくない」
そんな気持ちになったこともありました。

でも、今は違います。

あの人たちから、私は
「自分はこういう関わり方をしない」という“揺るぎない軸” をもらいました。

嫌だった経験が、
自分の価値観を整える材料になっていたんです。

そして気づけば、彼らとの経験があったから、

・人に押しつける関わりをしない
・相手の人格を傷つけない
・境界線を大切にする
・疲れている人の“サイン”が分かる

そんな力が育っていました。

嫌だった人ほど、
“反面教師としての深い教育者”だったんだと思います。

“苦しかった時期”の人間関係も、私の宝だった

ある時期、私は
他人のしんどさを全部背負って潰れそうになったことがあります。

「助けて」と直接言われていないのに
第三者の言葉を全部自分の責任のように受け取ってしまったり、
相談されただけの言葉に“救わなきゃ”と力が入ってしまったり。

でもそのとき、気づいたんです。

「本人が私に助けを求めていないなら、私は“見守りながら待つ”でいいんだ。」

その学びをくれたのも、しんどかった対人関係でした。

しんどい経験はしんどいままじゃなく
“境界線”と“優しさのバランス”を教えてくれたんです。

結論:私は“ぜんぶ”に育てられた

ここまで書いて改めて気づいたのは、

私を育てたのは「良い人」だけじゃない。

嫌いだった人、苦手だった人、しんどかった人も含めて“ぜんぶ”だった。です。

誰かを尊敬したことも、
傷ついたことも、
笑ったことも、
怒ったことも、
悩んだことも、
逃げたくなったことも、
涙が出た瞬間も全部。

その“ぜんぶ”が、
今の私の教育観を作っている。

そして今、私は新人に関わるとき、
この“ぜんぶ”を背中に感じながら立っています。

最後に

好きだった人には“ありがとう”。
苦手だった人にも“ありがとう”。
しんどかった人にも“ありがとう”。

人生は、
自分に優しかった人よりも、自分を揺らした人の方が
“心の芯”を育ててくれていることがあると思います。

これからも私は、
関わってくれるすべての人から学んで、“共に育つ”教育者でありたいです🌱

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