見捨てたいと思ったあの時。教育現場での線引きと私のリアルな感情

心と体のセルフケア
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はじめに

教育現場にいると、どうしても「この子はもう無理だ」と思う瞬間があります。

でも、簡単に「関わらない」「切り捨てる」ことができないのが、社会だし、教育の現場。

私は教育担当として、多くのスタッフと関わってきました。
けれど、正直に言うと、「もうこの人とは関わりたくない」と強く思った人もいました。

今日の話は、私がどうやって「線を引くか」を考えたときのリアルな気持ちです。

教育対象者は、“手をかけるべき存在”という社会のルール

教育対象者って、「まだ学ぶ途中の存在」です。
だからこそ、社会的には「手をかける」「育てる」「向き合う」が求められます。

仮に、その子に“学ぶ気がない”“成長する気がない”と感じても、
すぐに見捨てることはできない。

教育の対象に入ってしまっている以上、私たちは向き合わざるを得ない。

期待しなくなったら、もう育てようと思わない

私が教育現場で何度も感じたこと。

「もうこの人に期待しなくなったら、育てようとも思わない。」

でも、それでも教育の枠組みの中では、関わることが求められる。
そんな矛盾を、私は日々感じていました。

私は教育委員を続ける上で、私の心が関わることを受け入れられないときは、

「教育担当に関わりを任せること」で自分の心を守る方法を見つけました。


私自身は、その人に直接関わることをやめて、教育担当に指示を出して間接的に関わる。

そういうスタッフに関しては、方針の相談を受けるので、そこには対応しなければなりません。

ですが、これが私なりに、心の距離を保つ方法でした。

卒業したとき、心から晴れた

最近、その「どうしても受け入れられない子」が卒業しました。

はっきり言うと、嬉しかったです。

・思いやりがない
・人として、看護師として行動が理解できない
・自己中心的
・自分では何もしないのに「教育の機会を与えられていない」と言ってくる

私の中ではもう、「関わりたくない人間リスト」に入っていた存在でした。

社会的にはいけないことかもしれない。
でも、それが私の正直な気持ちでした。

夜勤中に爆睡している姿を見た時、やっぱり腹が立った

同じ給料をもらっているのに、
私はリーダーとして病棟全体を見て働いている。
あの子は夜勤中に爆睡している。

その時、「何この差?」って心から思ったし、普通に腹が立った。

注意しても、その後も爆睡。

「あ、私心が狭いな。」
でも、これが私。
これが人間。

人間関係は、教育対象者とそれ以外で線を引く

人間関係に対して
「イライラするだけ無駄だな」って思える場面は、これからもあると思う。

でも、それは教育対象者以外に限る。

教育対象者は、“手をかけることが求められる存在”だから、
そこだけはどうしても社会的に割り切れない。

それでも私は、適切に距離を取ることは大事だと思う。

関わらなきゃいけないけど、全部を背負わなくてもいい。

これが、私なりの教育現場の生き方です。

まとめ

教育の現場で、「育てたいと思わない人」に出会うことはあります。
でも、簡単に切ることが許されないのが社会。

だからこそ、適切に距離を取って、心を守ることがとても大事。

こういう感情を持つことは悪くないし、
「この人はもういい」と思うことも、自然な感情です。

無理に向き合い続けなくていい。
自分の心を守りながら、できる範囲で教育と向き合えばいい。

私はそう思っています。

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