居酒屋で学んだ、教えることの難しさ

教育からの贈り物
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居酒屋で教えた経験が、今の看護教育観を育てた

初めて人に「教える」という役割を担ったのは、大学時代の居酒屋のアルバイトでした。


最初は自分が必死で覚えることで精一杯だったはずが、

気がつけば、新しく入ったスタッフに業務を教える立場になっていました。

私にとってそれは、“教えること”の喜びと、同時に難しさを知る大きなきっかけだったと思います。

教えることって、思っていたよりずっと繊細で、相手によって全然うまくいかないこともある。

でも、だからこそ面白くて、やりがいがあって…

その経験が、今、看護の現場で教育に関わる私の土台になっています。

教えることの難しさを知った日

自分では丁寧に説明しているつもりなのに、うまく伝わらない。

ある新人スタッフには、私の言い方がきつく聞こえたようで、後から別のスタッフ経由で

「怖かったみたい」と伝えられたこともありました。

そんなつもりはなかった…と落ち込みましたが、その出来事があったからこそ、

「伝え方」や「相手の表情」を今まで以上に気にするようになりました。

同じことを教えても、相手によって反応や理解の仕方はまったく違う。

だから、「自分がこう思う」ではなく、「この人にはどう伝えたらいいだろう?」という視点を持つようになりました。

不器用だったけれど、一人ひとりと丁寧に向き合いたいという気持ちだけは、いつも大切にしていた気がします。

「声」で伝えるということ

私は、声の大きさには自信がありました。

人見知りな性格ではありましたが、居酒屋での接客中、お客さんから注文をもらったときには、

店内に響くように、でもノイズにならないように

――誰よりも通る声で、はっきりと伝えることを心がけていました。

(アナウンサーではないけど、アナウンサー気取りで、ハキハキと、イキイキと。)

「伝える」は、「伝わる」ことではじめて意味を持つ――そのことを、身体で覚えた気がします。

看護の現場に生きる“あの経験”

今、看護師として新人教育やスタッフ育成に関わる中で、あの頃の感覚がふと蘇ることがあります。

“自分の教え方がすべてではない”“相手によって伝え方を変えることが大切”

そんな教訓は、まさにアルバイト時代に身についたものでした。

そして、今の私の教育観はこうです。

教える」は、“指示する”ことではなく、“その人らしい学びを一緒に探し、一緒に成長すること”

それは時間も労力もかかることだけど、人が育つ喜びや変化に出会えたときの感動は、何物にも代えがたいものです。


まとめ:教えることで、自分自身も育てられてきた

アルバイトを通して学んだ“教えることの責任”と“人との関わり方”は、今の看護師としての私に確かに息づいています。

教育は、相手の成長を助けるだけでなく、自分を見つめ、磨く機会にもなる。

今後も、そんな教育者であり続けたいと思っています。

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