はじめに
私は今、病棟の教育を担当しています。
多くの人が思っている以上に、教育には「仕組み」と「協力」が必要です。
でも、現実はそう簡単ではなくて…
教育の意図をなかなか理解してもらえず、協力が得られない場面にもたくさん直面してきました。
そんな日々の中で、自分の中に生まれた葛藤、そしてその先にあった成長について、今日は少し書いてみようと思います。
なぜ伝えにくいのか
教育に関する意見を伝える時、私は何度も迷います。
「こんなことを言ったら嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない」
「また教育がうるさいって思われるかもしれない」
そう思って、喉まで出かかった言葉を何度飲み込んだことか分かりません。
でも、伝えないと守れないこともあります。
教育対象者の安全も、現場全体の安心感も、放っておいては守れない。
だから私は、時に嫌われる覚悟で伝える決断をすることもあります。
伝えた後の孤独と葛藤
正しさだけでは伝わらない。
どれだけ理にかなっていても、感情の壁に跳ね返されることもあります。
協力が得られない時、「どうしてわかってもらえないんだろう」と自分を責めた日もありました。
私一人が突っ走っているように感じて、孤独になることもありました。
でも、ある日気づいたんです。
「自分の伝え方にも、相手の立場や感情への想像力が足りなかったのかもしれない」と。
そこから、私は「伝える」ことの意味を見つめ直しました。
言葉の届け方を変えたら
最近、私は伝える前に必ず前置きを入れています。
「こう言うと嫌な気持ちにさせてしまうかもしれませんが、」
「あなたのことを大切に思っているから、あえて伝えます。」
たった一言で、相手の表情が変わることがあります。
その後に伝える内容が、ただの「指摘」ではなく「思いやり」になることもあります。
教育は対話の積み重ね
教育は、「伝える技術」ではなく「関わる覚悟」だと、最近思います。
協力を得られない人にも、ただ遠ざかるのではなく、向き合って、伝えて、また関わっていく。
その積み重ねが、病棟の空気を、少しずつでも変えていくのだと信じています。
それは簡単なことではないけれど、
私は、教育を通して少しずつ「優しく」「強く」なれている気がします。
おわりに
嫌われても、誤解されても、それでも伝える価値がある。
教育の先にある「成長」と「信頼」を信じて、今日も一歩ずつ歩いていきます。
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