“教える側”になって初めて見えた本音
新人研修を担当するようになって感じたのは、
「新人教育が嫌」というより、“研修を成立させる難しさ”への葛藤でした。
「好きにやっていいよ」と言われながらも、実際には方向性の修正や誘導が入る。
準備していた資料は完成しないまま当日を迎えることもある。
さらに、受講する新人さんが疲れた表情で座っていると、
実施する側のモチベーションも削られていく…
でも、その一方で、研修だからこそ生まれる空気感もある。
勤務のことを気軽に聞いてくれたり、雑談で笑ったり、
同期と安心して話せる時間になっていたり――。
新人研修には、“教育”だけではない役割があるのかもしれない。
そんなことを感じた最近の出来事を書いてみます。
「好きにやっていい」は、本当に自由ではない
新人研修を担当する立場になると、
「好きにやっていいよ」と言われることがあります。
でも実際は、
もともと新人担当だった人の考え方や流れを立てながら進める必要があり、
完全に自由というわけではありません。
「ここはこうした方がいい」
「去年はこうだった」
「この内容は入れて」
そうやって方向修正が入るたびに、
最初に考えていたプランから少しずつズレていく。
結果として、
“自分が本当にやりたかった研修”ではなくなっていく感覚があります。
資料作成もギリギリになり、
準備不足への焦りがストレスになる。
気づけば、「新人さんが嫌」なのではなく、
“研修を回すこと自体”がしんどくなっていました。
研修を受ける側の空気感に、実施側はかなり影響される
研修をする側も人間です。
前のめりに聞いてくれる人がいるだけで、
話しやすさは全然違う。
逆に、
疲れた表情、だるそうな反応、「早く終わらないかな」という空気感が伝わると、
こちらもエネルギーを使います。
もちろん、新人さん側にも理由はあります。
慣れない環境、緊張、連日の勤務、情報量の多さ。
だから責めたいわけではない。
でも、教育って“人対人”だから、どうしても感情は影響する。
「だったら研修しなくていいんじゃないの?」
そう思ってしまう瞬間があるのも正直な本音です。
それでも、研修には“教育以外の価値”があるのかもしれない
ただ、新人さんたちからこんな言葉を聞きました。
「同期に会える時間だから気分転換になる」 「少し安心できる」「続けてほしい」
その言葉を聞いたとき、 研修って“知識を教える場”だけではないのかもしれないと思いました。
雑談をしたり、勤務の疑問を聞いたり、少し笑えたり。
病棟では緊張して話せないことも、集合研修だからこそ話せることがある。
教育効果だけで見れば、効率が悪い部分もあるかもしれない。
でも、「この人たちなら聞いていいんだ」と思える空気を作ることも、
新人教育の一部なのかもしれません。
教育は、“完璧な正解”ではなく“安心できる関係づくり”
最近感じるのは、新人教育って、
完璧な資料や知識量だけでは成り立たないということです。
むしろ、
- 話しかけやすい
- 困った時に聞ける
- 緊張が少し緩む
- 「ここにいていい」と思える
そういう安心感が、学びの土台になる。
だからこそ、教育担当側も疲弊しすぎてはいけない。
「ちゃんとやらなきゃ」だけで抱え込むと、
教育そのものが苦しくなってしまう。
新人教育は、教える側も、教わる側も、お互いに人間なんだと思います。
まとめ
新人研修には、効率だけでは測れない価値があります。
もちろん、
準備の負担、感情的な疲労、理想通りに進まない葛藤はある。
でも、新人さんが少し安心できたり、同期と繋がれたり、
「聞いていい場所」ができることには意味がある。
教育とは、知識を渡すだけではなく、
“安心して成長できる空気”を作ることなのかもしれません。


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