― 苦しみと葛藤の先に見えたもの ―
私は今、病棟で教育を担当する立場にあります。
とてもやりがいのある一方で、毎日が葛藤の連続です。
スタッフ全員が同じ方向を向いてくれるわけではありません。
「教育」と聞くだけで構えてしまう人、干渉されたくないと思う人もいます。
私が何かを伝えると、時に反発や苦情が返ってくることもありました。
それでも、私は教育の意味を信じてやってきました。
なぜなら、フォローされる側、育っていくスタッフの安全と成長を守ることが、
病棟全体の安全や安心に繋がっていると信じているからです。
「正しさ」が「敵意」に見える瞬間もある
暴走してしまうスタッフに対しても、
「悪意があるわけじゃない」「本当は患者さんのために動いている」
そう思うからこそ、真っ直ぐに伝えることの難しさに直面します。
でも最近、私はこう考えるようになりました。
“正しさ”は、誰かを責めるためのものじゃない。
“教育”は、責任を押しつけるためのものじゃない。
教育は、“支える力”であり、相手の成長に寄り添う時間なのだと。
批判よりも多く届く「ありがとう」
不思議と、つらい言葉よりも、あたたかい言葉のほうがずっと記憶に残ります。
「あなたがいてくれてよかった」
「あなたのおかげで教育が変わった」
「あなたなしでは、今の病棟の教育が良くなることはなかった」
そう言ってくれる仲間が、実はたくさんいることを知りました。
それだけで、全てが報われたような気持ちになります。
そして、私は思うのです。
「教育は、感謝に満たされる場所だった」と。
もちろん、今も迷いはあります。
でも、それ以上に、人の成長に寄り添えることの尊さを知りました。
私にとって教育とは、誰かの背中を押すだけでなく、自分自身を育てる時間でもあるのだと気づかされました。
最後に
私は、完全じゃありません。
でも、毎日、誰かの未来のために向き合っています。
そして今日もまた、
その一瞬一瞬の「ありがとう」を胸に、前に進みたいと思っています。
教育で悩んでいるあなたへ
この記事を読んでくれたあなたが、
もし教育に悩んでいたり、孤独を感じているなら――
「それでも、伝える意味がある」と、私は伝えたいです。
いつかきっと、その想いは伝わります。
一緒に、頑張っていきましょう。
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