——背負う看護から、となりを歩く看護へ——
はじめに
看護師として13年働いてきて、最近やっと気づいたことがあります。
私は“人の隣を歩く人”になりたかったんだ——と。
新人教育をしていても、
スタッフの相談にのっていても、
チーム運営をしていても、
いつも心の奥で願っていたのは
「私が引っ張る」のではなく、
「私と一緒に歩こう」だった。
今日は、私が“共に行く人(共育人)”へと変わっていった物語を残しておこうと思います。
昔の私は“全部背負う教育者”だった
新人の涙、
スタッフの不安、
第三者からの「あの子しんどいらしいよ」という言葉。
本人が助けを求めていなくても、
私は勝手に背負っていました。
「私がどうにかしなきゃ」
「放っておいたらダメだ」
「私の役割だから」
そんな思いに押しつぶされそうになったこともあります。
師長に相談して泣いてしまった日もありました。
そのとき言われた言葉が今でも忘れられません。
「背負ってたら潰れるよ。
本人が助けてと言わなければ動かなくていい。」
あの時、私は初めて
“わたしが動く=優しさ”じゃないことに気づきました。
一歩引いたら、見えたものがあった
本人からSOSが出ていないのに
周囲の「しんどいらしい」を拾って走り回っていた私は、
“心配性の救い手”でした。
でも動かないと決めて、
“気にするけど背負わない”に切り替えたら…
私は初めて「相手の力を信じる」という優しさを知った。
前向きなコミュニケーションを増やし、
“支援できる距離感”に変えていったら、
私自身の心も軽くなりました。
そして驚いたことに、本人たちは意外と元気に働いていたりした。
「助けて」と言ってないのに、私が勝手に背負っていただけだったんだ、と。
“共育人”へのスイッチが入った瞬間
ある日、こう思いました。
「私は、誰かの人生を背負うために生まれてきたんじゃない。
誰かの成長を、一緒にとなりで歩いて見届けるために生まれてきたんだ。」
これが私の大きな転機でした。
それからの私は、
- 手を出しすぎない
- でも見捨てない
- いつでも声かけできる距離にいる
- 本人が動ける余白を残す
- できた瞬間は120%褒める
- つらい時は一緒に立ち止まる
こんな関わりを自然に選ぶようになりました。
“ダメリーダー演技”も、その延長線上にある
ダメリーダーを演じるのも、実は“共育”姿勢のひとつ。
私は無責任になりたいんじゃなくて、スタッフが自分で考える余白をあげたい。
完璧に仕切ってしまうと、誰も考えなくなる。
だからあえて、
「どうしたらいいと思う?」 「どこ手伝える?」
と自分で判断する文化を作る。
それは、
“前を引っ張るリーダー”でも“後ろから押すリーダー”でもない。
横を歩くリーダー= 共育リーダー。
しんどさをくれた人たちも、私を育ててくれた
最近思うのは、
好きな人も嫌いな人も、
私を育ててくれた“共行く人”だったということ。
優しく支えてくれた人は、私の柔らかさを育ててくれた。
しんどかった人は、私の境界線と軸を教えてくれた。
嫌だった関わりは、
“私が絶対にしない関わり方”を教えてくれた。
ぜんぶ私の血になっている。
今の私は、誰かの「横」を歩く人でいたい
私はもう、背負わない。でも放さない。
押さない。でも遅れない。
前でも後ろでもなく “横” にいる。
新人が迷ったら横に立ち、
しんどい人がいたら横に座り、
自立したい人には横で見守り、
走りたい人の横を一緒に走る。
これが、今の私が一番大事にしているスタイルです。
最後に。
私は、共育に携わるために生まれてきたと、大げさかもしれませんがそう感じます。
その感覚は、最近になってやっと腑に落ちました。
これからも私は、
誰かの人生の横を歩く教育者でありたいです。
押さず、引っぱらず、ただとなりに立ちながら。
それが、私の生き方なんだと思います。



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