― 実は、私が勝手に苦しんでいただけかもしれない ―
はじめに
最近、ふと気づいたことがあります。
私は、
「教育メンバーがもっと全体を見て意見を出してくれたらいいのに」
そう思っていました。
でも同時に、
それって求めすぎなんじゃないかな、とも思っていました。
そして今日、
一つ整理がつきました。
ちゃんと回っていた
各担当スタッフからは、
それぞれの教育対象者についての気になっている点や意見は出ている。
つまり、
止まってはいない。
動いている。
なのに私は、
「もっと全体を俯瞰してほしい」
「もっと主体的に考えてほしい」
そうやって、もう一段上を求めていた。
そして、
求めているのに満たされないことで、
勝手にイライラしていた。
問題を大きくしていたのは私だった
冷静に見れば、
教育メンバー側に大きな問題があるわけではない。
むしろ、
各担当はそれぞれの役割をきちんと果たしている。
私が勝手に、
「全体視点 × 自発性 × 構造理解」
ここまで求めていただけだった。
それは悪いことではないけれど、
今のフェーズではそこまで必要なかったのかもしれない。
本当の課題は別の場所にあった
整理してみると、
課題は教育メンバーではなく、
・教育メンバー以外のスタッフのサポートの在り方
・部屋の割り振りで経験をさせてもらえる風潮
・挑戦を後押しする文化
こちら側かもしれないと思い始めました。
教育は、
担当者だけで完結するものではない。
病棟全体の空気や設計が関わっている。
私が苦しんでいた理由
私はたぶん、
「もっとできるはず」
という理想を、
周囲にではなく、自分に向けていた。
だから、
周りが足りないのではなく、
理想と現実の差に、自分で勝手に苦しんでいた。
でも今回、
「あれ、そこまで問題じゃないかもしれない」
と気づいた。
これは私にとって、
とてもいい傾向だと思っています。
おわりに
求めすぎていたことに気づけたこと。
問題を勝手に大きくしていたことに気づけたこと。
これは後退ではなく、
整理が進んだ証拠。
教育は人を育てる前に、
自分の視点を整えることなのかもしれません。
最近、少しだけ、
自分の肩の力が抜けた気がしています。


コメント